[イベント] ライブラリートーク:雑誌『中央公論』編集長が語る”今”の読み方
昨晩はアカデミーヒルズ六本木ライブラリーで、ライブラリートークを聞いてきました。「時局を読み解く-雑誌『中央公論』編集長が語る”今”の読み方」というタイトルで、中央公論編集長の間宮淳さんと若手編集部員の井上さんによるお話をうかがいました。
総合月刊誌と呼ばれる、いわゆる論壇ジャーナリズムを支えてきた雑誌が相次いで休刊となり、一見その役目を終えつつあるようにも見える中、果敢にも定価を100円上げてリニューアルを行うという挑戦に出た『中央公論』の目指すところを語ってくださいました。
雑誌媒体そのものは、90年代半ばまでは過剰生産の時代だったのだそうです。ですからその当時に比べて部数が落ち込むのは必然で、逆に言えば今現在の読者はコアなファンであるとも言えるようです。ある意味それは正しいと思いますが、そうしたコアな読者だけでは諸コストの高騰などもあり、雑誌を支えていくことができなくなっているのが現状ではないでしょうか。
総合月刊誌と言って、最初に思い浮かぶのは『文芸春秋』だと思いますが、文春は若干特殊な雑誌ですね。総合月刊誌のコンテンツといえば、論文、文芸作品、コラムといったものがバランスよく掲載されているという印象ですが、そうしたコンテンツ自体の魅力は世の移り変わりとともに下がってきている中で、文春だけはその読者であることそのものがある種のステイタスになっていました。なんか文春を読んでいる人というのは、ちょっとハイブロウな文化人というか、企業の経営者とかでも、成り上がり者ではないオーセンティックな雰囲気をかもし出すには、とても都合の良い小道具であったようにも思います。その証拠に、古い企業の社長室とかに行くと、よく書棚に文芸春秋が並んでいたりしますよね。それに比べると『中央公論』は中身で勝負してきたように思いますが、最近はその中身が新しい読者には響かなくなってきているのではないかと感じます。
今回のリニューアルでは、カラーページを増やし紙質を上げて読みやすくしたりという工夫のほかに、単に現代の問題に対する評論を掲載するのみならず、近未来シミュレーション的なコンテンツを連載して行こうとの試みを取り入れたそうです。そうして、30~50代の現役世代の読者を取り込んで行くという方針なのだそうです。
さて、詳細についてはオフレコ話もあってあまり触れられないのですが、まあ百聞は一見にしかずということで、『中央公論』リニューアル最初の号(7月号)を買ってみました・・・とここまで書いて、この先はどうしても筆が鈍るのです。
というのも『中央公論』7月号を手にしてその目次を開いてみたとき、正直に言って読みたいと思う記事がひとつもなかったのです。間宮編集長(私と同年代ですが)は、30~50代の現役世代の読者を取り込みたいと言っていましたが、実際私自身は完全にアウト・オブ・ターゲットだと感じたのです。アラフィフの自分がターゲットになっていない(読みたい記事がない)雑誌を30~40代の人たちが買うわけないでしょ、というのが率直な感想ですね。
で、その理由を考えてみました。実は、書かれている記事のトピックそのものに興味がないのかというと、そういうわけではありません。政治・経済・文化といったことに関心がないのではなく、そこに書かれた文章を読みたくならないのです。つまり、どんなトピックを取り上げているかではなく、誰が執筆しているかが私にとって問題でした。今号の執筆陣を見ても、平野啓一郎さんを除けば若手と言える層が50代です。これでは執筆陣と現役世代の読者との間に、なかなか「共感」は生まれないのではないでしょうか。「ジジイが書いた小難しい記事を金払って読むわけねぇだろ。」というのが彼らの正直な気持ちだと思います。
実は私自身は、週刊誌・月刊誌問わず総合誌的なものを昔からほとんど読まないので(読んでいた記憶があるのは『朝日ジャーナル』と『FOCUS』くらいかな)、あまり一般の読者としては参考にならないのかもしれませんが、『中央公論』の900円という価格設定はどうかなと思います。新書一冊買っておつりが来る値段ですから、雑誌買うなら書籍のほうがいいかなって感じです。月刊誌は週刊誌のニュース性と書籍のまとめ、論文的な内容の中間的な部分を埋める存在だと、間宮さんはおっしゃっていましたが、逆に言えば中途半端なんでしょうね。
まあ、古い人たちは日本の論壇は死につつあるとか、若い論客が育っていないとか言うけれど、それは印刷メディア上に限った話でしかないのだと思うのです。たとえば『中央公論』の読者層というのはインターネットのヘビーユーザとは思えないし、こうした雑誌が貴重な情報源になっていると思うのですが、そういうメディアにしか接触していなければ情報は偏ってしまって、今若い人たちがネット上でどういう議論をしているのかということを知る由もないわけですよ。例えばそうしたネット上での議論やネット論客のような人の発言を、積極的に雑誌の記事として掲載することは、ある意味編集者の責務であるように思うのです。逆にこうした論壇ジャーナリズムの中で生きている論客の方々も、紙媒体に執筆するだけではなく積極的にネット上で発言すべきではないかと思うのです。
結局、紙媒体を主たる情報源としている世代と、インターネットを主たる情報源としている世代それぞれの中で、閉じられた情報空間ができてしまっている状況が問題なのだと思います。その別々の情報空間を「つなぐ」ことができなければ、ジェネレーション・ギャップはずっと埋まらないままです。このままでは、紙媒体にしか寄稿しない「プロ」の論客は食えなくなっていくでしょうし、雑誌がネット世代の読者をつかむこともできなくなっていくでしょう。
紙媒体にもネットにも書ける執筆者をいろんな世代から集めて、世代間を上手に「つなぐ」ようにそれらの記事を編集していくことが、今後の総合雑誌編集者に求められるのだと思います。



































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