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[コラム] ツイッター140文字の衝撃(後編)

 前回のコラムではツイッター140文字の衝撃(前編)をお届けしましたが、その後多くの読者のみなさんからフォローいただきありがとうございました。


 さて今回の後編では、ツイッターの本質的な部分について「ここがスゴイ!」と思っていることについてお話してみたいと思います。

 前回、メディアジャーナリストの津田大介さんが著書ツイッター社会論」の中であげている「リアルタイム性」「伝播力が強い」「オープン性」「独特のゆるい空気感」「使い方の自由度が高い」「属人性が強い」という6つの特徴について、私なりの見方を書きました。そして、予告として後編では私が今までコラムで取り上げてきた諸問題の解決に、ツイッターが役立つかもしれないという観点で取り上げてみたいと書きました。そのあたりを、いくつか見ていくことにします。

【課題1】ネット社会における情報の偏食化にどう対応すべきか

 まず最初に取り上げたいのがこの課題です。このコラムの第一回で話題にした「知の栄養バランス」という話を覚えていらっしゃいますか。三色情報群という仮説で説明したものです。
 
 たしかにインターネットは便利なのですが、情報を「検索」という行為によってふるいにかけたり、特定分野の情報だけをRSSフィードで追いかけたり、さらに興味分野のコミュニティで「同類」と集うといった行動や、ランキングによって読む本や見る映画、聞く音楽などを決めたりという行為が、明らかに情報の偏食化をもたらし、知の栄養バランスをくずして情報メタボになってしまうという現代病?につながっています。

 この課題の解決にツイッターが役に立つのではないかという仮説を私は持っています。ツイッターが今までのネットツールと決定的に違うのは、コトやモノを追いかけるのではなく、ヒトを追う(フォローする)という点だと思うのです。それもリアルタイムにです。ツイッターで誰かをフォローするきっかけはそれぞれ違うかもしれません。友人がフォローしているからとか、偶々面白いつぶやきを見つけたからとか、逆に相手にフォローされたからとか、いろいろあるでしょう。しかし、いずれにしてもフォローするのはヒトであって、コトやモノではないということに変わりありません。そこが重要なのです。

 ツイッターで生身のヒトをフォローするということで、ITジャーナリストの佐々木俊尚さんが「インフォコモンズ」の中で書かれていたような、ロボットではない生きたエージェントを手に入れることができます。既存型のSNSで友達になるとか、誰かのブログやソーシャルブックマークのフィードを読むとかという作業に比べ、圧倒的に簡単に多数の生きたエージェントを作れます。
 そして、このエージェントたちは生身のヒトですから、ひとりとしてまったく同じということはありえません。最初は何か同じ興味関心についてのつぶやきを見てフォローしたとしても、そのひとは必ずどこかでフォロワーである自分の知らないことをつぶやくでしょう。そこから新たな興味関心が広がるということは当然生まれてくるはずです。ヒトとヒトの関係だから、そういうことがありうるのです。一緒に遊びたい友達や恋人が、自分のまだやったことのない趣味やスポーツに夢中になっていたら、自分もやってみようかと始めるというのはよくある話ではないですか。テレビや雑誌で紹介されていて面白そうだと思っても、自分ひとりで始めるのはなかなかハードルが高いものです。

 さらにここで、第三回でとりあげたセレンディピティも関連してきます。

 このコラムで、セレンディピティを高めるために気をつけるべきこととして、
  1. 自ら偶然を得るチャンスを狭めないこと
  2. ひとつの「目標」に意識を集中しすぎないこと
  3. 自分のもつ「常識」や「仮説」に合わない事象に注目してみる
の3点を挙げましたが、ツイッターをやっていると自然とこの3つをクリアしていたりします。もしかすると、ツイッターは幸運な偶然に出会う場としてもとても貴重なものかもしれません。

【課題2】顧客の「囲い込み」という発想は、もう通用しない

 さて、つぎに取り上げたいのがこの課題です。そもそもインターネットが普及し人々がどんな情報も簡単に手に入れたり交換したりできる時代には、顧客の囲い込みという発想自体が無意味です。ひと昔前は、「しくみ(システム)」による顧客囲い込みというのが流行しましたが、最近は心理的な絆で囲い込もうとするエンゲージメント・マーケティングなどというものが流行っているようです。しかし、実際には「絆」を持ちたがっているのは企業側だけで、そんな一企業・ブランドに魂を預けるような関係ではなくて、もっとゆるい関係でつながっていたいと思う消費者も多いのではないでしょうか。
 ツイッター上でフォローしたりされたりして、相手のつぶやきを読もうが読むまいが自由気ままというゆるい関係は、これからの企業と消費者の関係を暗示しているように思えます。企業側からの押し付け的な関係構築は論外ですが、企業側も消費者のさまざまな要望を次から次へと満たしていかなければならないというような強迫観念を捨てて、お互いのカジュアルなコミュニケーションの中から、創発的に生まれた新しい価値を製品として具現化するような、そう
いう関係が生まれてくるのだと思います。

 こうしたツイッターでの関係は、第四回のコラム「受け手の心得」の中で書いた、受け手が「構えずに受ける」状態にあるため、より感覚的・直感的に情報に接しているとも言えます。

 ですから「検索&閲覧」という行為にくらべると、よりテレビ視聴などに近いリラックスした状態での情報接触行為と考えられ、先入観なく情報を受け入れやすく、偶然の出会いに対しても意外性による拒絶反応が起きにくい心理状態にあるように思います。つまり、売り手に対する買い手の敵対意識、もしくは警戒意識が下がっている状態ができているため、ツイッターという場においては、下手な仕掛けをするよりも自然体での対話が効果的だと言えるでしょう。

 また、ツイッター自体も、そのオープン性を生かした(既存型SNSのような広告モデルではない)新しいビジネスモデルを打ち出してくることでしょう。それがどのようなものになるかは、まだわかりませんが、決してユーザを囲い込むという方向でないことだけは確かだと思います。

【課題3】売り手(買い手)の顔が見えない

 最後に取り上げる課題はこれです。こちらもひと昔前、企業側がよく「買い手(消費者)の顔が見えない」と言っていました。ターゲットプロファイルを明確化しろとか(ペルソナ・マーケティングも流行りましたね)、消費者ニーズを探るための徹底的な調査をやれとか、いろいろありました。政治(選挙)も同じですね。有権者の顔が見えないという政治家も多くいました。

 しかし、最近は逆の現象というべきか「売り手の顔が見えない」ことに対する不安を買い手側が口にするようになってきました。オンラインメディアの普及により、第三者がもたらす情報が企業や政治家をほとんど丸裸の状態にしているわけですが、それでも当事者個人のことばを直接聞かないと、買い手の不安は解消されません。そうした中で、ツイッター上の法人や公人としての奥歯にものがはさまったような発言ではない、企業の中の人や政治家の個人としてのつぶやきによって、企業や政治を身近に感じられるようになってきているよに思います。ここでもヒト対ヒトのリアルタイムに近いコミュニケーションというツイッターの特徴が生きていると言えます。

 このことは、買い手側だけでなく売り手にとっても大きなメリットをもたらしています。企業や政治家にとって、消費者や有権者のナマの声を直接聞けるということはとても意味があります。ツイッターの特性上、リアルタイムでどんどん流れていくタイムライン上でつぶやかれる言葉は、論理的に組み立てられた言葉というよりも、反射的に出てくる短いフレーズであることのほうが多いと思います。そこにはアンケート調査やグループインタビューを通じては決して得ることのできない(あるいはブログ記事からさえも得られない)、買い手のホンネ(もしかすると、つぶやいた本人も気づいていない潜在意識さえも)が表出してくる可能性があるのです。まさに情報の宝の山です。

 さて、今回の後編はいかがだったでしょうか。かなり長くなってしまいましたが、ツイッターに関してはまだまだ書くべきことはたくさんあります。また別の機会を見つけて、このブログやメールマガジンで書くことにします。

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